キムチを売る女

『キムチを売る女』

−外への視線、内なる視線―

秦 早穂子(映画評論家)

《立ち位置》

 新しい映画に出会うのは、旅に出て未知の世界や人々を目で見、肌で感じるのと同質の喜びがある。朝鮮民族として、中国に生まれたチャン・リュルの出現は、これまでの中国映画、韓国映画とはまた異なった世界を見せてくれる。彼の出自に関わる歴史背景を色濃く反映、内在させながら、その特殊な状況、ひとりの人間を具体的に、そして象徴として提示する。自分の立ち位置を明確にすることで、作家は作品により普遍性をもたらせうると思う。映画でいうならば、例えばジャ・ジャンクーが故郷山西省にあって中国を見、北京にあっては世界を見るように。

 『キムチを売る女』で、チャン・リュルの存在を私は初めて知った。彼の長篇2作目という。監督と映画作家を呼称によって分けるとすれば、チャン・リュルは間違いなく映画作家である。言うべき事は明確で、内から外へとつながる視点と視線がある。書く人としての(文学作品は読んではいないが)境界線を突き破り、映像への道を歩き出した。本作品のなかで、ワンブロックとして建てられた家屋の真ん中を壊して通り道を作り、自由に出入りする息子のように、チャン・リュルは文学と映画の境界線を乗り越える。

《チェ・スンヒという女》

 チャン・リュルはチェ・スンヒという女を中国のどこか、場所のはっきりしない荒れた大地の片隅に放り出す。そこは、世界のどこにでもあるような場所。彼の明確さとは曖昧性までも含みこみ、それによって、より普遍性を持つという傑れた力量を示す。曖昧さこそが、人間の心の深奥へと近づく標(しるべ)なのである。そして、時折、彼女が出向く町中は昼間からさびれ、夜ともなれば、町角に立つ女たちが男たちに誘いかける。農閑期に出稼ぎに来て、農繁期になると、助っ人として故郷に帰る農村の女たち。大都会から見捨てられた町。更に、より格差のついた村と人々。女たちの寸描で、中国の社会的現状、いや世界の片隅が見えてくる。

 そんな女の群からも、ひとり離れているのがチェ・スンヒの存在だ。彼女について、私たちが知りうるのはごく僅かなこと。中国に生まれた朝鮮民族で、夫は金に困って人殺しをし、ひとり息子と共に彼女はここに逃れてきた。もぐりでキムチを売っては暮らしている。住いは線路近くの2軒長屋で、隣には娼婦たちが住んでいる。チェ・スンヒ自身にも曖昧な点があり、どんな過去があったのかはわからない。カメラは寡黙な彼女の毎日の行動を追う。いつもブラウスとパンツ姿で、質素な衣服にアイロンをかける。商売物のキムチの材料、胡瓜、白菜、大根を実に丁寧に洗う。リャカーにキムチの容器を積んでは、自転車で売り歩く。息子に対してはハングル文字の読み書きを厳しく練習させる。いつか故郷に帰る日もあるだろう……折りあるごとに煙草をふかし、かろうじて自分を保っているような女である。よく見れば、かなりいい女で、男たちはそんなチェ・スンヒに目をつける。彼らはちょっと親切ぶって、いつも見返りを要求する。同じ朝鮮民族の家庭持ちの男とねんごろになるが、それは彼女にも気があるせいか、孤独のためか、単なる性的要求なのか。

 チェ・スンヒの屈辱と忍耐が一気に切れてれてしまうのは、息子の突然の死からだ。どんな風に死んだのかもよくわからない。息子の凧だけが知っている。暴行、セックス、死の場面は、常に画面の外で起きて、一切省略される。音楽さえ排除する。常套的映画表現は拒否されてしまう。こうして、画面の外で起きる事柄、経過、感情は、ひとりひとりの洞察力に委ねられる。画面が撮らえた男たちの全裸。男の本性、滑稽さ、威圧なのか。それも見方次第だ。チェ・スンヒは怒りを秘めて最後の行動に起こし、成し遂げる。どんな風に?チャン・リュルは省略する。やがて、彼女は家を出て、線路を越え、駅の待合室の向こう側へと歩き出す。よろめき、よろめきながら、目の前に広がるのは一面の麦畠。そこは息子が遊んでいたであろう道のり―。間もなく種まきの季節がやってくる……

 ラストシーンで、チャン・リュルは、彼女に初めてロングスカートをはかせ後姿を追う。追いつめられた弱者の女が犯してしまった取り返しのつかぬ事。孤独と痛さを突きつけられる鮮烈な場面は、不思議に透明感さえも与える。この一瞬だけ、チェ・スンヒは解放される。

 中国吉林省、延辺朝鮮自治州の由来は、かって日本が関わった歴史的、政治的事実の結果である。そこの土地さえも追われ、食べるため、自己存在証明のためにキムチを作り、売る女。故郷に帰りたいとさまよう女は、一体どこに故郷があるのだろうか?それにしても、いつから、私は糠味噌を漬けなくなったのかと、ふと思う。

 現在は、北京に住むチャン・リュルが、今後どんな方向へ歩んで行くのかは知る由もない。ロベール・ブレッソンの作品に学んだ点が多かったと聞くが、もはやその過程はすぎたろう。すでに独自の道が始まっている。

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