カリン・ペーター・ネッツアー(監督)

1975年、ルーマニアに生まれる。両親とともにドイツに移住。1994年、ブカレストの国立演劇映画大学の映画監督科を受講し始め、1999年には映画監督の卒業証書を獲得。彼の短編および長編のデビューはともに同じ題名の『マリア』(1997、2003)。両作品ともに世界各国で上映されることとなり、2003年の長編は、ロカルノ国際映画祭の審査員グランプリと二人の主演俳優が銀豹賞を獲得し、EFAアワーズにもノミネートされた。
次の『名誉のメダル』(2009)も30以上の国際映画祭で上映され、テッサロキア国際映画祭ではシルバー・アレキザンダーとほか4つの賞に輝き、トゥーリン、マイアミ、ロサンゼルス、ゼグレブ、トランシルバニア国際映画祭などでも好評を博した。ルーマニアのGOPOアワードでは最優秀主演男優賞(ビクトール・レベンジュック)と最優秀脚本賞(トゥドール・ボイカン)を獲得。
『私の、息子』は長編第3作めとなり、初プロデュース作品も兼任。初参加となったベルリン国際映画祭で金熊賞(最高賞)と国際映画批評家連盟賞をダブル受賞した。

<監督の言葉>

『私の、息子』は母親と息子の関係を病理学的に描いた映画です。親に頼る子供と子供に頼る親の関係について描き、いずれの形にせよ、親はいずれは子供を喪失するということ、を描いています。カメラに重点を置いた作品でもあります。突き上げる怒りや、くすぶる反発といった登場人物たちのその時々の心理状態を出来る限り誠実に、いうなれば、その人物の人生のある一片をドキュメンタリーで見せるように心がけました。たとえ傷だらけの家族であろうとも、観客が登場人物たちに共感できるよう、彼らのキャラクターは精神分析にも近い丹念な分析をしています。

アダ・ソロモン(プロデューサー)

2010年、パラダ・フィルムを設立するまで長年にわたって製作現場の経験を持つアダ・ソロモンは、1933年以来製作進行およびエクゼクティブ・プロデューサーとして150本ものテレビコマーシャルの製作を手がけてきた。本編映画の世界でもフランコ・ゼフィレッリ監督の『永遠のマリア・カラス』やデディ・ダンカート監督の『オフセット』やヘルミネ・フントゥゲブルト監督の『トム・ソーヤとハック・フィン』など国外作品のライン・プロデューサーを務めた。2004年ハイ・フィルムを設立、クリスティナ・ネメスクの『P7からのマリレーナ』(2006)、ラドゥ・ジュデ監督の『The Tube With A Hat』(2007)、パウル・ネゴエスク監督の『改築』(2009)などの映画賞受賞の短編の数々や、ジュデ監督の長編デビュー作『世界で最も幸せな女の子』(2009)、メリッサ・デラーフ & ラズヴァン・ラドゥレスク監督『まず最初に、フェリシア』、パウル・ネグレスク監督の『タイの1カ月』(2012)、アレクザンドル・ソロモンのドキュメンタリー『冷たい波』(2007)、『資本主義‐我々の進歩した社会』(2010)などを送り出した。現在彼女はダニエル・サンドゥ監督のデビュー作『セラフィンの一歩後ろ』やジュデ監督の第三作目『Aferim』(彼が2012年のベルリン映画祭フォーラム部門でハート・オブ・サラエボ最優秀作品賞およびナムル国際映画祭で最優秀作品ゴールデン・バヤード賞、主演男優賞およびザグレブ映画祭でごゴールデン・プラム賞を受賞したほか12の賞に輝いた『我々の家族の全員』の次の作品である)などを予定している。
ソロモンはクリシティアン・ネメスキュとアンドレイ・トンキュを記念して発足させたブカレストのNextT国際映画祭の創設者でありディレクターでもある。
プロデューサーとしての業績を評価され、本年度(第26回)ヨーロッパ映画賞のEuropean Co-Production Award を受賞した。

<プロデューサーの言葉>

監督のカリン・ペーター・ネッツアーと脚本家のラズヴァン・ラドゥレスクとは、数年にわたって仕事をしています。彼らの『私の、息子』への個人的な関わりを知ってのことでもありますが、最初から彼らは、このデリケートなテーマを映画にするのに完璧なコンビであることを確信していました。『私の、息子』の脚本には、ネッツアーが示す感情的なアプローチとラドゥレスクが持つ顕微鏡手術のような精緻な描写スタイルが共存することを瞬時に理解しました。普遍的な家族の物語として、『私の、息子』は世界中の観客に訴える力を持っています。一方、この作品には、 “ヌーボー・リッチ”といわれるルーマニア上流階級の生活、社会保障制度のいたるところに顕在する汚職や腐敗、さまざまな社会グループのメンバーたちが知り合うことで作り出される関係など、現代ルーマニア社会の微妙な現実がレントゲン写真の様に透かしてみえます。ルーマニアの社会問題の実態は本作品の主要なテーマではないものの、背景に複雑に絡み合ったパズルのように描かれることで、登場人物たちが生きる社会のリアリティを、観客は明確に実感することができるのです。

主演女優にルミニツァ・ゲオルギウを得られたことも幸運でした。彼女は、自身のキャラクターや素顔とは全く逆のコルネリアのキャラクターを、完璧に自分のものにしました。『私の、息子』での彼女の演技は、ルーマニア映画史上最も印象的なパフォーマンスのひとつに挙げられるでしょう。彼女を支えた俳優たちもまた偉大です。ボグダン・ドゥミトラケは問題児の息子を、ヴラド・イヴァノフはずる賢くしぶとい証言者を、アドリアン・トゥティエニは打ちひしがれる被害者の子どもの父親を見事に演じたほか、多くの才能ある俳優たちが、本作品で素晴らしい演技を見せてくれました。

当初、この映画は、行き過ぎた母性愛が息子を破滅させ窒息させるかを描いていることから、もっぱら女性の共感を得る作品になるであろうと予想していたのです。しかし、実際に作品が完成すると、実は男性にも同じくアピールする作品であることがわかりました。多くの男性が自分の母親との関係でこの映画を理解し、映画が語っていることは事実だとわかっていても、現実の自分に置き換えることは認めがたいし受け入れがたいことをも理解してくれました。これはこの映画が成し遂げた大きな業績です。なぜなら、この映画自体が、許すこと、受け入れること、理解することを描いているのですから。

ラズヴァン・ラドゥレスク(脚本)

1969年、ブカレスト生まれ。ルーマニアの最も意欲的な脚本家の一人として称賛されるラズヴァンは、革命後のルーマニア映画(いわゆる‘ポスト・レボリューション’映画)を代表する才能である。数十年にわたってルーマニア映画が国際シーンで注目される礎を築いた世代の代表ともいえよう。ラデュレスクはブカレスト大学で哲学を専攻し、ブカレスト音楽アカデミーではオペラ演出を学んだ。彼の小説「エリア・カザンの人生と事実」(1977)はルーマニア作家協会の新人賞を獲得した。また2作目の「セオドシアス・ザ・スモール」(2006)はEU文学賞を受賞している。
映画脚本家としての経歴は、15本以上におよび、『ラザレスク氏の死』、『Stuff and Dough』(両作品後もクリスティ・プイユ監督)、『紙は青いだろう』、『火曜日』『クリスマスの後』(ラデュ・マンティアン監督)『Tertium Non Datur』(ルチアン・ピンティリエ監督)などがある。
『まず最初に、フェリシア』では共同脚本、共同監督をつとめ、同作品はナムル映画祭では審査員特別賞を、エストリル映画祭ではシネヨーロッパ賞を、トランシルバニア国際映画祭では最優秀新人賞、最優秀主演女優賞、最優秀脚本賞を獲得した。また、『4ヶ月、3週と2日』(クリスティアン・ムンジウ監督)や『ニコラエ・チャウシェスクの自伝』(アンドレイ・ウジカ監督)では脚本アドバイザーを務めた。ラデュレスクはカールスルエヘ芸術デザイン大学とマラケシュ・ビジュアル・アーツ・スクールで講師も務めている。

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