監督・脚本: ダリボル・マタニッチ

1975年、ザグレブ生まれ。同市の芸術学校、The Academy of Dramatic Artで映画およびテレビ演出の学位を取得。初長編監督作「The Cashier Wants to Go to the Seaside」(00年)では自身が手がけた脚本を基に制作し、賞を受賞。続いてメガホンを取った第2作目の長編「Fine Dead Girls」で02年プーラ映画祭において、大賞、観客賞、批評家賞に輝く。09年「Kino Lika」はレッチェ・ヨーロッパ映画祭、プーラ映画祭で受賞、その他、30以上の映画祭で上映。同年短編「Tulum / Party」がカンヌ国際映画祭批評家週間でプレミア上映され、国内外の映画祭で18もの賞に輝いた。その他の主な作品に「Mother of Asphalt」(2010)「Daddy and Handymen」(2011)がある。

<監督からのメッセージ>

『灼熱』は無私の精神と愛 ―― バルカン半島で、いまだ取り戻せていない人間に備わる最高の本質―― を高らかに描きます。私は確信があるからこそ、この映画を撮ったのです。それは、結局のところ、政治も過激な国家主義も決して勝者にはなれないが、愛はすべてに勝るという確信です。
映画を制作する者として、バルカン地方で絶えることのない民族間の憎しみの感情、戦争や宗教、政治に端を発する紛争にずっと関心がありました。本作では30年という時の流れを通してクロアチア人の青年とセルビア人の娘のエピソードを独立した3つの物語として描きたいと思いました。3つの物語はすべて同じ場所、灼熱の村で展開し、20代前半の若い恋人たちが登場するという設定も変わりません。レンズを通して3つの物語を見せることで、私はこの地域の傷ついたコミュニティにくすぶり、鬱積したタチの悪い風潮をあぶり出したかった。
始まって間もない今世紀で“自分と異なる者”に向かう憎しみの問題はとりわけ深刻で憂慮すべきであり、実際、大いなる危険をはらむものだと考えているのは、決して私1人だけではないでしょう。イスラム恐怖症、ネオナチ主義、熱狂的愛国主義、人種差別主義、そして以前は受け入れていた移民たちへの拒絶反応など、具体例を挙げれば切りがありません。私はラブストーリーを語り、“不寛容 対 寛容”そして“恐れや憎しみ 対 希望や許し、愛”の対比を盛り込んで、憎しみに関する映画を撮ること以外に勝る方法はないと信じています。監督である私の目的は、“緑豊かな自然や気苦労のない確かな青春 対 積年の憎悪、歴史、伝統、混乱、恐れがもたらす人間の所業”を対比して見せることであり、映画のストーリーを使って、この地域の若者の人生に影響し、条件によって起こる変化を観察することでした。また、表現の観点から言えば“愛はかけがえのないもの”という考え方を否定するキャラクターたちには必ず、なぜ思いやりを持った言動ができないのかという理由を考えさせたいと思っていました。屈託なく奔放な第1話の物語から、戦争で疲弊し心に傷を負った恋人たちの第2話の物語へと展開し、最終話では現代を舞台にして、若い恋人たちや、その家族、友人、隣人たちが今こそ過去の恐怖を乗り越えるという希望を描く。
私はずっと、これらの地域に住む私たち全員を映す鏡のような映画を作りたいと思っていました。本作で私たちは普通の良識に従うのではなく、地域の暗い風潮に駆り立てられて言動する瞬間を目の当たりにするでしょう。私は人々が一時的な浅ましい幸福を得ようとしたせいで何が起こったか、結局、たどった道は深い悲しみと不必要な苦難をもたらすものでしかなかったということを知らしめたいと思っています。

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