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一昨年、NHKで放送された「ノーナレ けもの道 京都いのちの森」には、再放送希望が異例の1141件も届きました。京都で、猟をする千松信也さんの、彼にとっては平凡な日常に取材したドキュメンタリーでした。イノシシやシカをわなでとらえ、木などで殴打し気絶させ、ナイフでとどめをさす。命と向き合うために千松さんが選んだ営みに、残酷、という非難をはるかに超える「憧憬」が集まりました。NHK取材班は、放送後、千松さんとその暮らしにさらに迫るため、300日の追加取材を行い、およそ2年間の映像を編み直し、完全新生映画版が完成しました。
池松壮亮さん/日本映画界に欠かせない若き名優がナレーションを語りおろしました。千松さんに寄り添い、その独特な視線、思考、行動に観客をいざないます。
1974年兵庫県生まれ。京都大学文学部在籍中に狩猟免許をとり、先輩猟師から伝統のくくりわな猟、無双網猟を学ぶ。現在は、運送会社で働きながら京都の山で猟をしている。鉄砲は持っていない。08年発行の『ぼくは猟師になった』(現在、新潮文庫)は「狩猟ブーム」を牽引することになった。他の著書に『けもの道の歩き方猟師が見つめる日本の自然』(リトルモア)『自分の力で肉を獲る10歳から学ぶ狩猟の世界』(旬報社)がある
Interview
京都大学在学中から猟をはじめて、すでに19年経っています。猟をはじめよう、狩猟免許をとろう、という、初期衝動、みたいなものを今も覚えていますか?それは「思いつき」だったのでしょうか、それとも、長く抱いていた考えが、結実したのでしょうか?
当時は大学を4年間休学して、海外を放浪したり、バイトをしたり、いわゆる「自分探し」のようなことをしていた時期でした。狩猟免許を取ったのも、「猟師になろう!」と決意して取り組んだというよりは、「自分で肉を獲れたらおもしろそう」というような比較的軽い気持ちだったと思います。それが、始めてみると、猟の魅力に取り憑かれていきました。自然や動物が大好きだった子どもの頃の自分と出会い直したような感覚もあり、人間と動物の関係や自分の生き方についても考えるようになっていきました。
千松さんは、獲物を基本的に販売していません。「害獣」を獲って、報奨金を得たりもしていない。お金と肉の結びつきをあえて断っていると思います。そのあたりのお考えを聞かせていただけますか?そうした千松さんの姿勢を「趣味」といったり、「猟師ではない」と、批判的にとらえる人もいますが……
肉を販売していた時期もありましたが、今は自分と家族、友人が食べる分だけを獲るようになりました。1シーズン10頭ほどです。僕がやりたい猟は、人間以外のほとんどの野生動物がやっているような「生きるための食料を自分の力で獲る」という行為です。自然の中に入っていって、動物たちの仲間に入れてもらいたいという気持ちです。どんな肉食動物でも、家族やグループの仲間が食べる分以上に獲物を殺したりはしませんから。
また、別の言い方をすると、僕が猟をするのは他の人がスーパーでお肉を買うのと同じようなものです。お肉を買うには現金が必要ですが、山でお肉を獲るには技術と労力が必要なのが違うだけで、どちらも「食料を得る」という点は共通しています。スーパーでお肉を買うという行為が「仕事」や「趣味」の人がいないように、僕が猟をするのもそれは「仕事」でも「趣味」でもなく、「生活の一部」でしかありません。
20年弱の猟師生活の中で、千松さんは結婚し、子供も2人生まれました。その中で、猟への考えは変化しましたか?小太郎くん、佐路くんには、小学校入学ともにナイフを渡していましたが……やはり、猟師になってほしいですか?
自分一人でやっていたときと比べると、自分が獲ってきた肉を食べてくれる存在が増えたというのはやっぱりやりがいはありますね。特に子どもも大きくなってきて肉をたくさん食べるようになってきましたし。最近では、子どもの同級生たちもしょっちゅう遊びに来て焼き肉を食べて帰っていきます。
子どもたちのナイフは僕の猟友がプレゼントしてくれました。彼らはそのナイフを使って1年生のときからシカやイノシシの解体を手伝っています。長男はもう随分うまくなりました。ただ、これはあくまでも「家のお手伝い」という感じで、猟師になるための修行をさせているわけではありません。猟に関しては、もっと大きくなってから本人たちが「本気でやりたい」と言えば教えますが、子どもたちはそれぞれやりたいことをやったらいいと思います。僕としては、シカやイノシシはもう獲る人間がいるわけだから、どっちかというと海の漁師にでもなってくれたほうが我が家の食卓が豊かになるなあ、なんて思ったりもしてます(笑)
これまで、テレビ取材には乗り気ではなかったと思います。川原監督とNHKの取材を受け入れたのはなぜですか?
川原さんが僕の著書『けもの道の歩き方』を読んでくださっていて、「そこに書かれている千松さんの猟についての考え方や自然への向き合い方を映像にしたい」と言ってくださって、単なる「猟暮らしのドキュメンタリー」ではないものができるかもなあ、と思って引き受けました。まあ、最終的には酒の席でついうっかりOK出しちゃったんですが…。
できあがった映画の感想は?
全体的にはほんとに我が家の四季の暮らしが色々と描かれているので、なんだか千松家のホームビデオのような印象ですが、それが観た人にどう映るのか興味はあります。あと、自分自身が猟をしている姿というのをここまでしっかりと映像で見ることはあまり経験したことがなかったので、その点は新鮮でした。自分ではもっと俊敏に動いているつもりが、映像で見たら意外と「どんくさいなあ」って思ったり(笑)
1990年福岡県生まれ。03年、ハリウッド映画『ラストサムライ』(エドワード・ズウィック監督)で映画デビューを果たす。14年、『愛の渦』(三浦大輔監督)『ぼくたちの家族』(石井裕也監督)、『紙の月』(吉田大八監督)、『海を感じる時』にて、第38回日本アカデミー賞新人俳優賞、第57回ブルーリボン賞助演男優賞を受賞。17年、主演作『夜空はいつでも最高密度の青色だ』(石井裕也監督)にて、第39回ヨコハマ映画祭主演男優賞ほか受賞。18年、主演作『斬、』(塚本晋也監督)にて、第33回高崎映画祭最優秀主演男優賞ほか受賞。近年の出演作に、『万引き家族』(18年/是枝裕和監督)、『君が君で君だ』(19年/松井大悟監督)、『町田くんの世界』(19年/石井裕也監督)など。19年、主演作『宮本から君へ』(真利子哲也監督)にて第93回キネマ旬報ベスト・テン主演男優賞、第41回ヨコハマ映画祭主演男優賞ほか受賞。
Comment
たとえノーギャラでも参加したいと思える作品でした。「命を奪うことに慣れることはない」千松さんの自然界との向き合い方に心から感動しました。僕は30年前に生まれ、肉や魚、水や木々や種を、つまり生きとし生けるものの命を何不自由なく貰って生きてきました。そこに責任や罪の意識は、親や先祖のおかげで何一つ無かったと言えます。環境問題やアニマルライツ、様々な問題が浮き彫りになるこの世界で、今このドキュメントを届けたいと、切に思います。
池松さんの起用について/伊藤雄介プロデューサーより
もしドラマにするならは、千松さんを誰に演じてもらいたいか。最初に頭に浮かんだのが池松さんでした。CMや映画のスクリーンから聞こえてくる池松さんの声が、「言葉よりも背中で語る、森の哲学者」という千松さんのイメージにぴったり重なると思いました。ナレーション撮りが終わってご挨拶の際に、「僕、すごく好きです。千松さんの生き方。今回は、少しだけ、お役に立てたような気がします」。はにかんだ笑顔で去っていく池松さんの姿が昨日のように思い出されます。
2005年NHK入局。「プロフェッショナル仕事の流儀」「クローズアップ現代」などを担当。2018年から京都局勤務
Interview
川原監督が、千松信也さんにカメラを向けようと思ったきっかけを教えてください。
2014年に、千松さんの著書『けもの道の歩き方』を読んだことがきっかけです。伊藤プロデューサーも松宮カメラマンも、ほぼ同時期に本を読んでいて、一気に企画が盛り上がりました。テレビ取材をなかなか受けてくれないという前評判は耳にしていましたが、当たって砕けろ!の精神でいきなり電話をかけました。千松さんは当然、難色を示していましたが「出演しなくてもいいから、お話だけでも聞かせてほしい。ビールでも飲みながらどうですか?」と頼み込みました。すると「ビ-ルがあるなら行きます」とのこと(笑)。2017年の夏は猛暑だったんですよ。出演をお引き受けいただく際、千松さんから出された条件は今でも覚えています。「動物の命が消えていく数分間、僕は動物と二人きりで過ごします。猟師になって17年になりますが、慣れない時間です。その時間を共有する覚悟はありますか?」。重い問いかけでしたが、その問いに向き合い続けることで、私自身、考えを深めていくことができました。
千松さんがわなをしかける場所は、京都のどのあたりですか?クルーとともについていくのも大変だと思いますが……。
私も驚いたのですが、京都は山に囲まれた土地で市街地からちょっと外れるとすぐに森に入ることができます。猟場では、耳を澄ますと、車の走行音や近くの学校の子どもたちの声など生活音が聞こえてきます。千松さんと獣の命のやりとりは、街と山の境界線で繰り広げられている出来事なのです。当然、千松さんも山にこもった生活をしてはいません。週3〜4日はサラリーマンとして市内で働き、コンビニにも寄れば居酒屋にも行きます。
千松さんの獲物から作ったご飯を実際に食べましたか?
イノシシの焼肉、しゃぶしゃぶ、燻製…たくさんいただきましたが、やはり衝撃だったのは「猪骨スープ」です。イノシシの骨を3日3晩かけて煮詰めたものです。塩コショウだけでじゅうぶん美味しいスープです。味はトンコツと似てますが、野生のイノシシだからなのか、驚くほど濃厚です。獣害対策で焼却されたイノシシの大量の骨を撮影した後だったこともあり、私たちはなんてもったいないことをしているのだろう!と痛感しました。命はゴミか、宝か…。そんなことを語りかけてくるスープでした
本映画は、NHKの人気番組「ノーナレ」内で放送された「けもの道京都いのちの森」が元になっています。300日の追加取材でもはや別の作品ですが、ナレーションを新たに入れた、という点も大きな違いだと思います。
最初、この企画はNHK総合テレビで制作しました。その時は、ナレーション無しの「ノーナレ」という枠で放送しています。今回の狩猟の現場や命のやりとりに関しては、決まった解釈はありません。ご覧になった人に自由に感じてもらい、自由に考えてもらうためにナレーションを排除し、映像の迫力と千松さんたち出演者のつぶやき、臨場感のある音声で物語を紡いでいきました。
ところが、それから1年間追加で撮影をさせていただき、99分という長尺で作品を制作する際、今度は逆の発想をしてみました。ナレーションで視聴者を森の入り口まで誘い、そのあとはノーナレ形式の臨場感あふれる描き方ができれば、狩猟や千松さんの哲学をより魅力的に伝えることができるのではないか。
ナレーターは池松壮亮さんにお願いしました。千松さんの世界観を表現してくれるのは、池松さんしかいないと思いました。落ち着いていながら、内には熱いものを秘めている。決して感情的ではないのに、どこか温かさを感じる……池松さんのナレーションは、千松さんの深遠な世界へと誘ってくれます。
テレビ番組から始まった企画ですが、2年間の制作期間を経てパワーアップした作品にすることができました。
先ほど伺った、千松さんからの撮影条件もそうでしたが、映画内で話される言葉も、訥々と、慎重ですが、印象的です。
映画には入っていませんが、「なぜ普通に就職しなかったのか?」と聞いたことがあります。千松さんは京都大学出身、会社組織のエリートとして働く道もあったはずだと思ったので。返ってきた答えは「やりたい仕事もなかったし、狩猟を続けたかった。肉や山菜、魚なんかの食べ物を野山から直接獲れば、それを買うためのお金は稼がなくていい。山からは薪などの燃料も手に入る。現在は、週の半分程度だけ働いて最低限のお金を稼ぎつつ、好きなことを続けるという生活に落ち着きました」というものでした。もちろんサラリーマンが働くのは稼ぐためだけではなく、仕事にはやりがいや生きがいもあるため、とても大事なことです。でも、満員の通勤電車に揺られているとき、ランチでチェーン店に他の客と一列に並んで定食をかき込んでいるとき、ふと「本当にこれでいいのか?」と思うことがあります。
どうすれば千松さんのような感性を磨くことができるのか、聞いたときの答えも、忘れられません。例えば、町で暮らす私たちは雨が降れば通勤・通学がメンドウなので嫌います。でも千松さんは、雨が降ればシカやイノシシが動く、わなに掛かるかもしれないとウキウキしています。花粉を運んできたミツバチを見て、向こうの山にはウワミズザクラが咲いているということを知ります。私たちに見えるのは目の前の表層的な世界だけですが、千松さんは1つの出来事の奥に広がる世界を想像し、多角的にとらえます。千松さんの見ている世界はとても豊かです。どうしたらそんな感覚を身につけられるのか、と思って聞いたのですが……答えはただ「山に入っていると必然的にわかる」でした。観客のみなさんにも、画面の向こう側に広がる奥深い世界に思いを馳せてもらえればと思います。
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