ちいさなちいさな、
ヒュッゲの物語 

森百合子(北欧ジャーナリスト)

 デンマーク語で心地よい時間や空間を表す「ヒュッゲ」という言葉は日本でも大きく注目を集め、北欧といえばヒュッゲ、と合言葉のように語られるようになった。書店にはヒュッゲ関連本がずらりと並び、手にとって読んでみると「ヒュッゲにかかせないものは暖炉に揺れる炎、ロウソクに灯る明かり……リビングには家族の笑い声が響き、キッチンのオーブンからは焼き上がる肉料理の香りが漂い……」などと若干、大げさとも言いたくなるしあわせの風景が書かれている。それももちろんヒュッゲなのだが、本作でクリスと叔父さんが夕食後にリビングでコーヒーを飲みながらボードゲームをしたり、ソファで寝転んで他愛のない会話をしたりしなかったりしている、あれもヒュッゲなのだ。

 以前、デンマークで友人宅に数日滞在していた際、あまりの好天気で上機嫌になり、ヒュッゲという新しく覚えた言葉を使いたくなって「ちょっと公園でもいってヒュッゲしてくるね」と何とはなしに口にしたことがある。すかさず友人から「へえ、一人でヒュッゲ?」と笑いながらつっこまれた。ヒュッゲを日本語に訳す際に、身近でわかりやすい表現だからと「ほっこりするひととき」などと言ってみたりするのだが、ほっこりは一人でできても、ヒュッゲは一人ではできない、とその時に学んだのだった。
 クリスは毎日、叔父さんと自分のために食事を作る。朝はモルゴンブロー(朝のパンの意味)とよばれる小麦のパン、昼はライ麦の黒パンにレバーペーストやコールドカットをのせたオープンサンド。レバーペーストの上にはきゅうりがのっている(デンマーク人的には譲れない要素らしい)。夕食に並ぶのはソーセージ、ハム、キャベツの煮込み、ミートボール。添えてあるのはたっぷりのじゃがいも。どれもデンマーク伝統の味といったラインナップだ。ちなみにこの国では、伝統的なミートボールやレバーペーストは豚肉で作られる。物語の途中、テレビから流れるニュースでは日本への豚肉輸出量の多さが語られていたが、養豚業が盛んで人より豚の数の方がはるかに多いのだ。

 彼らの食卓はきっとほとんど同じ味の繰り返しなのだろう。心のこもったとか、愛情をこめたとか、そんな上っ面の表現が恥ずかしくなるような素っ気ないメニューだが、クリスは日々きちんとそれを用意する。帰りが遅くなり夕食を用意できなかった晩の翌日、彼女は罪悪感からか、朝食のテーブルにデニッシュを並べる。叔父さんはそれを食べながら「誰の誕生日でもないぞ」と返す。デンマークといえばその名前が表すようにデニッシュの発祥地とされ、街を歩けばベーカリーやカフェにはさまざまなデニッシュが並んでいるが、もともとは休日や誕生日などの特別な日に食べるちょっとしたご馳走だったらしい。都会っ子にとってはいまやハレもケも関係なく食べられる味も、叔父さんとクリスにとっては昔と変わらず特別な存在なのだろう。

 スーパーマーケットで買い出しているのは蜂蜜とリモラーデ(ピクルスなどを混ぜたマヨネーズベースのソース。ソーセージや魚料理にかかせないデンマークならではの味)、そしてヌテラ。ヌテラはパンにつけるチョコ風味のスプレッドで、イタリア製だが北欧の食卓でも親しまれている。こうして見ていると、画面の向こうでクリスに買い出しを頼まれても間違えることなく買っていけそうだ。

 ちなみにコペンハーゲンに着いた夜にヨハネスとクリスが食べている回転寿司はデンマークで近年大人気で、街中ではよく見かけるし、コペンハーゲン空港の回転寿司屋もいつも大混雑している。広い空の向こうに見える風力発電の風車も現代のデンマーク名物といえよう。監督は本作で衰退していく農家の姿を留めようとしたと語っているが、画面にはいまのデンマークも同時に映し出されている。
 大きな事件が起こるわけでもないのに、見ているこちらは退屈することなくむしろずっと見ていたいと思わせる、そんな時間の流れ方もとてもデンマークらしい、と思う。生活道具のデザインやインテリアに興味があれば、キッチンの佇まいやリビングの照明、白や木目に調和するセージグリーンやブルーグレーの壁色に目を引き付けられるのではないだろうか。デンマークはデザインの国とよばれ、世界的に著名な建築家やデザイナーを多数輩出しているが、この国のデザインの底力はこうした普通の人々の暮らしの中にあると私は思う。都会からはるか遠く離れ、周囲にほぼ人家の見あたらないような寂れた土地の農家に、ああしたキッチンがあることに私はこの国のデザインのあり方を見る。優れたデザインや美しいインテリアは一部の嗜好家のものではく、誰の生活にも当たり前にあるべきものなのだ。だからきっと叔父さんもクリスも、あの家に美が宿っているとは気づいていないだろう。

 デンマークは灯りの国ともよばれ、優れた照明デザインもたくさん生まれている。叔父さんの家を見ても食卓の上には小さなペンダントライトが灯り、窓辺にはキャンドルが並ぶ。彼らの生活ぶりからして贅沢なものとは無縁のように思えるが、リビングにはいくつもの照明が灯っていて、この国の人が灯りとどう付き合っているかを垣間見ることができる。

 二人の暮らしと日常がもっともわかりやすく映し出されているキッチンのインテリアをもう少し観察してみよう。オーブン付のコンロの横には食洗機があり、ゴミ箱はシンク下の扉の内側に隠されている。大きな窓は、冬になるとより貴重になる太陽の光を遮らないように下部にだけカーテンを付けている。コンロの奥に貼られたタイルのデザインからすると、おそらくあのキッチンは1970年代頃に作られたものだろう。叔父さんの青年期であり、デンマークで機能的なキッチンや住まいのデザインが成熟した時期だ。
 叔父さんが倒れ、病室で出されたクロワッサンにいやいや口をつけるのを見たクリスは、家のトースターと食材を持ち込んでいつもの朝食を用意する。毎日使っている背の高いコーヒーポットや花柄のボウルも持ち込んで。あの瞬間、病室にいても二人にはヒュッゲなひとときが訪れる。ヒュッゲとはこの国の人にとってデザインと同じで、決して特別で華やかなものではなく、日々の繰り返しの続きにあるものなのだと思い知る。そして外に出て人と会うことが制限されるようになった不思議な時代に生きながら、それでも私たちはヒュッゲな時間を過ごすことができるのだろうか、と考える。『わたしの叔父さん』を見ていると、きっとできるよ、と声をかけられている気がしてくる。目の前の大切な人と一緒に食事をすればいいじゃない、と。

ヒュッゲが日本で大ブームだなどと聞いたら、クリスはどんな顔をするだろうか。都会の人は物好きだね、と素っ気ない返事が返ってくるだろうか。