ゲータイについて

あの世から帰ってくる霊を慰め、楽しませるために、シンガポールの各地で行なわれる独特のステージ・パフォーマンスが「ゲータイ(歌台)」である。

旧暦の7月になると地獄の扉(鬼門)が開いて、霊が現世に舞い戻ってくるという言い伝えがあり、その時期に祖先や無縁仏を供養する行事を行なう。この行事はハングリー・ゴースト・フェスティバルとも呼ばれ、香港、台湾、ベトナム、シンガポール、マレーシアなどの中国系住民の間では広く行なわれており、アメリカ人にとってのハロウィンのようなものと説明されることもある。

この時期になるとシンガポールの様々な場所で、きらびやかに着飾ったシンガー/パフォーマーたちが、歌に踊り、トークを交え、エンタテインメント色の強いショーを繰り広げる姿を見ることができる。
ステージは、空き地や駐車場、寺社の境内に作られるのが一般的で、音響設備が整えられ、色鮮やかにライトアップされる。ゲータイのステージは、7月ひと月で500以上も行なわれている。

ゲータイは地域密着型で、シンガポールの各地で行なわれるが、人気スターが出演するステージにはシンガポール中からファンが集まってくる。各地で行われるゲータイを渡り歩く熱狂的ファンも多く、彼らは「歌迷(ゲーミー)」と呼ばれている。ゲーミーどうしで情報交換も行なわれ、ゲータイ専門の情報サイト「GETAI A-GO-GO」にはゲータイ開催情報やニュース、写真や動画など多彩なコンテンツがアップされている。

2007年からは「ストンプ・ゲータイ・アワード(Stomp Getai Awards)」というイベントも行われ、ベスト男性歌手、ベスト女性歌手、ベストコスチューム、ベスト外国人パフォーマー、ベスト・ニューカマーなどが選出されている。ゲータイのパフォーマーはベテランが主流だが、『881 歌え!パパイヤ』が封切られた翌年の2008年にはほとんどの賞が10代の学生で占められるなど、若い世代の台頭が目立ちはじめている。

チェン・ジン・ラン(Chen Jin lang)

『881 歌え!パパイヤ』でオマージュを捧げられている、伝説的ゲータイ・シンガー。
ゲータイのトップ・シンガーの1人であったが、大腸癌のために2006年に45歳で亡くなった。
家庭が貧しく、2人の姉と同様に、9歳からナイトクラブのステージに立って、歌うことで家計を支えた。歌手として、台湾からタイまで数多くのナイトクラブを回り、また、福建語や華語による曲を作り、たくさんのアルバムをリリースした。彼の作る曲は、愛や人生、成功、失望、希望に関するもので、ユーモラスなものも多かったという。
衣裳は1000着以上あり、ショーの間に10着は着替えて、観客の目を楽しませた。チャリティーにも熱心だったことで知られる。後年、借金を抱えたが、ファンや支援者に頼ることはなかった。彼の葬儀には3000人ものファンがかけつけ、彼との別れを惜しんだという。『881』の脚本を書いている時に、彼の訃報に触れたロイストン・タン監督は、この作品をチェン・ジン・ランに捧げることに決め、劇中でも数多く彼の曲を使っている。

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