世界が注目する「怪物的作家」ラヴ・
ディアス

フィリピンの怪物的監督ラヴ・ディアスの作品がついに劇場公開される。
それもヴェネチア国際映画祭でフィリピン初の金獅子賞に輝いた
『立ち去った女』とあっては興奮しないではいられない。
海外での盛名とは裏腹に、国内では上映の場が東京国際映画祭などに限られていた
ディアス作品を多くの人が体験できる機会がやっと訪れたわけで、これは一大事件である。

ラヴ・ディアスとは何者か

東南アジアの映画大国フィリピンは、いま映画史上3回目の黄金時代を謳歌している。20世紀初頭からアメリカ文化の影響下にあったフィリピンでは、早くからハリウッド型のスタジオ・システム、スター・システムによる映画製作が盛んとなり、太平洋戦争後の1950年代にはLVNなどの大スタジオが質の高い娯楽映画を量産(第1黄金期)。次いでマルコス独裁政権下の1970年代にリノ・ブロッカら反骨の作家たちが抵抗精神に満ちた作品を発表して世界を瞠目させた(第2黄金期)。
そして2000年代半ばから現在までの第3黄金期。記憶に新しいところでは2016年のカンヌでブリランテ・メンドーサ『ローサは密告された』が最優秀女優賞(ジャクリン・ホセ)に輝き、同年の東京国際映画祭でも若い世代の『ダイ・ビューティフル』と『バードショット』が受賞。2017年に入っても上海国際映画祭で『Pedicab(輪タク)』がコンペの最高賞と、世界の映画祭をフィリピン映画が席巻しているのだが、なかでもディアスは『痛ましき謎への子守唄』がベルリンの銀熊賞(アルフレッド・バウアー賞)、『立ち去った女』がヴェネチアの金獅子賞と、同一年(2016年)の世界三大映画祭のうち2つで銀と金を獲るという快挙を成し遂げ、第3黄金期のトップランナーにとどまらず、いまや世界がその動向に注目する存在となっている。

1958年ミンダナオ島に生まれたディアスは、戦時下の受難を経験した祖父母から当時の話を聞いて育ったという(口伝えでおぼえた日本の軍歌「愛国行進曲」を歌えるそうで、日本支配下の時代を映画化する計画を表明している)。青年期にブロッカの『マニラ・光る爪』(75)を観て衝撃を受け、映画の道を志すが、並行してロック・シンガーとしても活動し(YouTubeなどでその姿を垣間見ることができる)、また詩作にも長じるなど、多彩な才能を開花させていく。1998年の監督デビュー以来、リーガルなど大手プロダクションで2時間前後の“普通の"映画を何本か撮っていたディアスが真のディアスに変貌するのは2001年の『Batang West Side(西海岸の子)』。米ニュージャージー州のフィリピン人移民社会に起こった殺人事件を追う本作は5時間15分(注1)の長尺で、観客の度肝を抜いた。その後も、ある農民の一家の生活を1971年から87年まで綴り、マルコス時代を検証した『Evolution of a Filipino Family(あるフィリピン人家族の創生)』(04)、強大な台風で壊滅した村のその後を追った『Death in the Land of Encantos(エンカントスの地の死)』(07)、ヴェネチアのオリゾンテ部門最高賞を受賞した
『Melanchoria(メランコリア)』(08)など、5時間から長いものでは9時間に達する作品を相次いで発表し、同じ時期に9時間の『鉄西区』(03)で話題を集めた王兵(ワン・ビン)らとともにデジタル時代の超長尺映画の旗手と目されるようになっていった。

スロー・シネマ、魂の救済、歴史の再構築

近年「スロー・シネマ」という映画用語が普及しつつある。タルコフスキー、アントニオーニ、アンゲロプロスらを起源に持ち、極端なロング・テイク(長回し)とそれに伴う反復とズレ、世界を観察するかのようなカメラの目線、希薄な物語性、といった際立った特徴をそなえた一連のアート・フィルムを定義しようとして生まれた言葉だが、デジタル時代に入って撮影時にフィルムの出し入れが不要になったことも手伝って、こうした映画作法はますます目立つようになっている。「ディジタルシネマの深甚なインパクトを受けながらも、かたやハリウッドのブロックバスター大作に見られるスペクタクル表現への過剰な傾注に対する作家的抵抗」(渡邉大輔)(注2)と評されるように、スロー・シネマとは、古典的な映画話法、つまり時間の省略と空間の飛躍によって効率的かつ劇的に物語を語るのではなく、画面内にあらわれる時空間を観客も共有して一緒に生きるような映画、とでも言えばいいのだろうか。特にアジアの作家では、上記の王兵のほか、アピチャッポン・ウィーラセタクンや蔡 明亮(ツァイ・ミンリャン)の作品にもこうした傾向が顕著に認められるが、なかでもディアスの作品群はスロー・シネマの美学を魔術的な境地にまで極めたものといえるだろう。

それを踏まえた上で、ディアス作品が何を描いているのかを検証してみよう。2013年のカンヌ映画祭「ある視点」部門に出品された『北(ノルテ)―世界の終わり』(4時間10分)がディアスの名を世界的に高めたというのが衆目の一致するところで、日本での本格的な紹介もそれから始まったのだが、その後の『昔のはじまり』(14年/5時間38分)、『痛ましき謎への子守唄』(16年/8時間9分)、それにこの『立ち去った女』を含む近作4本に注目してみると、ディアス作品の2大テーマ――「魂の救済」と「歴史の再構築」――をうかがい知ることができる。『北(ノルテ)―世界の終わり』と『立ち去った女』は、ともに「個人」を主人公に据え、彼/彼女の行動とともに進行していく点で共通している。ドストエフスキー「罪と罰」に触発されたという『北(ノルテ)―世界の終わり』は2人の男を並行して描いていく。殺人事件が起こるが犯人は逃亡し、別の男が間違って投獄される。しかしシャバで暮らす前者は罪の意識で正気を失い、獄中の後者は徐々に精神の自由を獲得していく。いわば「その後の罪と罰」。一方の『立ち去った女』はトルストイの短編「神は真実を見そなわす」をヒントに作られているが、これまた無実の罪で服役した女が30年を経て出獄し、女に罪を着せた末に自らは富豪となったものの不安に苛まれている男への復讐の機会を執拗に窺う。

これら2作はロシア文学の題材を南国フィリピンに移植したものだが、冤罪と贖罪、精神の束縛と解放、他者への献身と自我の消滅、すなわち人間にとって魂の救済とは何かを私たちに深く問いかけてやまない。
『昔のはじまり』と『痛ましき謎への子守唄』はもう少し複雑な構成を持ち、いわば「時代」そのものを主人公に据え、激動のフィリピン近現代史を読み直して再構築しようとする意志に貫かれている。『昔のはじまり』はマルコス大統領が独裁体制を固める画期となった1972年という年に狙いを定め、僻地の村で頻発する超常現象が、やがて政府軍による地域の制圧を招き寄せ、戒厳令が布告されるさまを徹底的な長回しで炙り出していく。フィリピンにおけるファシズムの起源を問うこうした姿勢は『痛ましき謎への子守唄』にも継承されるが、こちらは1897年、革命運動のリーダー、アンドレス・ボニファシオの処刑が冒頭で示されたのち、その遺体を探す妻グレゴリアの旅が主筋となり、民族運動家・思想家ホセ・リサールの著作「ノリ・メ・タンヘレ」「エル・フィリブステリスモ」の主人公イサガニやシモンが登場し、さらに半人半馬の「ティクバラン」の神話的エピソードも挿入される。実在の革命家、国民的文学の登場人物、土着の神話のキャラクター、という3層の物語が入り交じって進行していくのだ。生者ととともに死せる者も異形の者も等しく召喚されるさまはマジック・リアリズム的で、複式夢幻能の世界を彷彿させる。

『北(ノルテ)―世界の終わり』を例外として、ほとんどのディアス作品はモノクロで撮られており、その美学についても検証すべきなのだが、もはや紙幅が尽きた。「個人」を凝視し「時代」を俯瞰するディアスはこの先どこへ向かっていくのか。『立ち去った女』のヴェネチア戴冠ののち、ハーバード大学に留学して半年の研究生活を終えたばかりのディアスに訊いたところ、ハーバードでは「フィリピン映画の1976年」をリサーチしていたそうで、ディアスによれば1976年は重要な画期で、近々の企画はこの時代に焦点を当てるものになるらしい。他にも日本軍政下の時代を映画化する計画を表明し、あるいは足立正生や内田裕也といった日本の表現者にも関心があるという。いずれも興味深いが、次なる展開を刮目して待とう。

(注1)初期作品の上映時間は資料により異同があるが、本稿ではIMDbのデータに従った。
(注2)渡邉大輔「『顔』に憑く幽霊たち――映像文化と幽霊的なもの」、『ゲンロン5 特集:幽霊的身体』、株式会社ゲンロン、2017年、171ページ。

石坂健治(いしざかけんじ)
東京国際映画祭プログラミング・ディレクター、日本映画大学教授・映画学部長。1960年東京生まれ。早稲田大学大学院で映画学を専攻。国際交流基金を経て2007年より東京国際映画祭でアジア部門を統括し、2011年に開学した日本映画大学の教員を兼務。著作に『ドキュメンタリーの海へ――記録映画作家・土本典昭との対話』(現代書館)などがある。

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